あかり接骨院PR担当石川プロフィール

あかり接骨院詳細については➡こちらです。

 

 

はじめまして。
こんにちは。石川です。

私のプロフィールをご覧いただき
ありがとうございます。

私は今、腰痛を改善する専門家として
こんな事が出来ます。

 

・腰痛の方を見れば、何が原因かを瞬時に見極め、的確に腰痛改善のためのアドバイスができます。
・なぜ腰痛が出たのか、話を聞くだけで原因が分かります。
・腰痛を根本的に治す方法を教える事ができます。
・腰痛になりそうなタイミングが分かるので、予め防げるようにアドバイス出来ます。
・腰痛になってもすぐに治せます。

 

といったことが出来ます。

 

そして、過去には
腰痛などの症状がなかなか治らず困っていた方も劇的に改善しています。

例えば、
・腰椎椎間板ヘルニアで病院から見離された患者さんは、嘘みたいに動き回れるようになりました。
・これから旅行なのにぎっくり腰してしまった患者さんは、元気に旅行に行って帰ってきました。
・ゴルフが趣味の方の歪みを治して、飛距離が伸びた患者さんもいます。
・体の歪みをとる事で顔が整い、小顔になって喜んだ方もいます。

嘘のような話ですね。ですが、
骨格矯正の知識を得ることで、何をどうすれば体が変わって、
どうすれば腰痛を治せるかが手に取るように分かるようになったのです。

 

そして、知識を付けて、学んで実践するたびに、施術の効果は上がるし、
喜んでくださる方も増えるので、今は学ぶ事が楽しくて仕方がありません。

逆に、知識がない状態で、
ただ日々淡々と無意味な施術を繰り返していたら、
治る腰痛も全く治りません。
そして、患者さんの不安をあおるばかりか、
患者さんの貴重な時間とお金を奪ってしまうという
最悪な状況を招いてしまうわけです。

 

また患者さん自身も、正しい情報を知らないことで
的確な施術がわからず、一時しのぎの施術を受けては、
いつまでも治らないという悲劇を招いてしまうのです。

 

というのは、私自身が骨格矯正に出会うまでは、
骨格矯正の知識など全くなく、
一時しのぎのマッサージなどで腰痛をしのぎ、
痛みが取れない、どうしよう。と、不安な日々を送るような、
無知でどうしようもなく情けない人間だったのです。

 

無知で情けない人間だった私が、
なぜここまで知識の重要性に気づき、腰痛の専門家として
現在の自分に変化する事が出来たのか。

それではここから、
私がどんな人間で、なぜ柔道整復師の資格を取得したのか、
そして、骨格矯正に出会ってからどう考えが変わったのかを書いていきます。

私は現在、夫が運営しているあかり接骨院という腰痛専門接骨院のPR担当をしていて、
・動画で腰痛対策に関する情報発信
・メルマガ、ブログ、ツイッターなどから情報発信
などをしています。

 

今は育児中心の生活の為、接骨院での施術の担当はしていませんが、
それまでは、13年間整骨院の仕事に携わりながら、患者さんの施術をしてきました。
柔道整復師の資格を取得してからは、10年になります。

 

それでは、ここからは私の人生をさかのぼって
幼少期のころから話していこうと思います。

私は福島県の会津若松市の病院で生まれました。
3姉妹の次女です。
4歳年上の姉と、2歳年下の妹がいます。
小さいころからケンカが激しい姉妹でした。

私は生まれた時の体重が4200グラムで
巨大児でした。
生まれた時の赤ん坊の写真は見事にデカいのです。

その後もデブ体質で、しかもよく食べるし、
見るからに健康女児でした。

そして、この体質は、
からかわれる標的になったのです。

姉と妹から、特に姉からは、
ほぼいじめ的なことが行われてきました。

姉妹ケンカするたびにいつも私一人が取り残され、
『デブデブ、デブ、なんでそんなに食べるの。
食べ過ぎだよ。
デブだから何もできないんだね。
デブなんだからさわんないで。移るよ。』

といった理不尽なことをずっと言われ続けてきました。

そんなことから、私は、
自分に自信を無くしていきましたし、
家に居ることが本当に嫌いでした。

こんな日を毎日のように送ると、
どんどん自分に自信を無くし、
小学生になるときには、
消極的で物静かな子供になっていました。
授業中でも自信をもって発言ができず、
先生に「声聞こえないよ!」と怒られたこともあります。

今でも覚えているので、
怒られたことでまた自信を無くしました。

また、私は小学校に入学してすぐに
学校のうんていから落ちて右脚の骨折をしています。
この時の痛みは現在の仕事に生きています。それは
患者さんの気持ちがわかるからです。

今ではいい経験になっていますが、
当時は骨折したことで、嫌な思い出になっていることもあります。

それは、
骨折したことで担任の先生から優しくされたり、
おんぶしてもらうことが度々あったので、
他の生徒、特に先輩からは厳しい反応を受けてました。

例えば、
私ばかり優しくされていることで、
陰では、「なんであいつばかり」と言われているような存在になりました。

陰で言われていることはなんとなくわかっていながらも、
かといって、言い返すことはできず、
誰にも相談できずに、心に抱え込む子供でした。
骨折が完治して、普通に生活できるようになると、
特に先輩からの風あたりが強くて、
「なんでここに居るの」とか、
「勝手にここの場所使わないでよ」と、
強く当たられることが多くなりました。

そして、先輩に会いたくない思うようになり、会うたびにきつい言葉を言われ、
より自分に自信が無くなっていきました。

またこの厳しい反応は、自宅でもありました。
姉と妹も、家族では、
私ばかりかわいがられているという目で見ているわけです。
私は、ちーちゃんとあだ名で呼ばれていましたが、
「ちーちゃんばっかり、ずるい。」
「ちーちゃんばっかり特別扱い」
といった非難の言葉が増えました。

そんなことが重なったのか、
小学生にして帯状疱疹を患っています。
帯状疱疹はウィルス性の病気ですが、
ストレスが原因とも言われています。
痛くて夜も眠れなかったことを覚えています。
ですが、この痛みも医療人として
痛みのがわかるので、良い経験だと思ってます。
ただ当時はやっぱり辛かったです。

中学校に上がると、
バレーボール部に所属しました。
バレー部では、
小学校からバレーボールをやっていた子達が
同期で入部するので、
スタート時点でレベルの差がありました。

そこでは自信のなさが影響して、
積極的に動いてボールを追う、抑える、打つという事が出来ず、
いつも「どうせ私出来ないし。。」と、ひがみ根性丸出しで、
チャレンジする前に諦めていました。

かといって練習するわけでもなく、
どうせ上手くなれないし、レギュラーにもなれないし、
練習しても無理でしょと諦め続けていました。

諦めることは、今もって後悔でしかなかったなと思いますが、
当時は、諦め精神の気持ちばかり湧いては、投げ出していました。

練習が大事であるということも分からず、
とりあえず部活に参加すれば、友達にも先輩にも学校にも親にも怒られないし、という理由で
嫌々ながらも3年間バレー部は続けました。

今となっては、継続したことは良かったけれど、
もっと練習して強いチームになるために貢献したかったなって
悔いています。

高校は、
弓道がやりたいという単純な気持ちで、
弓道部の強い高校に進学を決め
県立の女子高に進学しました。
入学当初は、
中学からの友達の影響で、部活をせずに帰宅部していました。
というのは、
自分の自信の無さによって、友達に流されるような性格だったのです。
断ったら嫌われる、友達と一緒じゃないと嫌われる。と、
友達に依存した性格だったのです。
でも、
高校は弓道がしたくて選んだわけで、
帰宅部になったら絶対に後悔すると思い、
弓道部に入ることにしたのです。

途中入部だったので、友達が出来るタイミングを逃し、
一人淋しい始まりでしたが、
こんなことは時間が解決してくれました。
日を追うごとに、一年生みんなと仲良くなりました。

高校はほぼ部活に時間を注いで、全く勉強しない学生でした。
部活と言っても、仲間と話すことが楽しくて、
部活しながら遊んでいるようなそんな毎日でした。
こんな状態だったので、強くなるわけもなく、
県大会止まりで3年間終わりました。

ここでも、あーもっと練習しとけばよかったなという
後悔が残っています。

また、高校3年時には、初めての腰痛を経験しています。
この時は、寒い冬で、毎日のように茶の間の
コタツで寝る生活をしていました。
一週間ぐらいその生活を続けていたのですが、
ある朝、腰が全く動かない、起き上がれない状態になったのです。
動くと痛くて、動けない、これはいったいどうなんてしまったのか。。。
と、焦りました。
その後初めての接骨院に行くことになったのです。
原因を説明すると、
ま筋肉疲労だろうという事で、
電気を掛けてマッサージ的なケアをしてもらい、いつの間にか治っていたと思います。

この時は、自分がまさか接骨院で働くようになるとは、
思っていませんでした。

部活を引退すると、
進路活動が始まりました。

私は特にやりたいことがなく、
ただ、一日でも早く家を出たいと思っているだけでした。
高校は就職と進学と半々だったのですが、
私は大学進学??という状態で、
かといって、就職するのはまだ早い。。

そんな時に思いついたのが、
それがダイエットだったのです。
というのは、私が唯一継続していることだからです。
それは小さいころからデブとからかわれ、
自信をなくてしていたこともあり、
痩せれば自信がつくんじゃないかと思っていたからです。

でも、ダイエットはするものの
ほぼ挫折に終わり、ダイエットに成功したことが
無かったのです。
そんな時に、
もし将来夢が叶うなら、栄養士になって
ダイエットをうまく成功させたいなと思ったんです。
それが成功できたら、
ダイエットしたい人に教えたいな。と
ふと思ったのです。

そんな理由から栄養士を目指そうと思ったのです。

それで高校卒業後は、
栄養士の専門学校に進学しようと決めました。
とはいえ、一番の目的は家を出ることです。
そして、ずっと抱いていたのが
東京に行きたいという憧れがありました。
なので、
東京の栄養士の専門学校を受験することになったのです。
受験と言っても書類選考で終わりです。
書類に記入し、志望動機を書いて完了です。

あっという間に合格が決まり、
4月からの入学を待つ身になったのです。

高校を卒業し、いよいよ東京です。
家を出れるうれしさでいっぱいでした。
東京では、専門学校の寮に入りました。

寮では、栄養士の学校ということもあり、
一年生が寮生の3食の料理を担当することになっていました。
栄養計算をして、献立を決め、
それを朝早く起きて朝食を作り、
昼も、準備に学校から走り、夜も、学校が終わると、
即夕食の買い出しをして、食事の支度
という日々を送っていました。

それなりに楽しかったのですが、
でも共同生活で、
部屋は先輩も含めて5人部屋、
自分の時間がなくて、だんだんと嫌になってきたのです。
私の東京生活はこんなんじゃない!!
と思い、寮を出ることにしました。
専門学校は都内23区内にあったのですが、
一人暮らしをするには、
都内の23区内は家賃が高く、現状厳しかったのです。
なので、東京郊外のアパートを探し、
一人暮らしを始めることになったのです。
家賃分を稼ごうと、バイトも始めることになりました。
アパート近くの居酒屋でバイトを始めたのですが、
バイトが楽しくなって、
学校に行かない生活が始まりました。
で、ついにお金を稼ぐことに意識が向き始め、
学校を退学し、バイトをして生活していくことにしたのです。

今思えば若気の至りですね。
親にはめちゃくちゃ心配を掛けました。

ですが、今までの家が大嫌いだった反動は止まることがなく、
親の気持ちを考えることなく、自分でしたいことをするために
突っ走りまくりました。
この時は本当に心配かけましたね。。。

そのままいろんなバイトをしながら生活をしていました。

そんなある日、
実家から連絡が。
「じいちゃん倒れたの。脳出血だって。もし帰ってこれるなら帰ってきて。」
という連絡です。
マジか。。。
私はじいちゃん子だったので、
この時はショックで手が震えました。

バイトがちょうど休みの日だったので慌てて祖父が入院している
病院に向かいました。
すると、ICUの部屋で意識もうろうとしている祖父の姿が見えたのです。
いままでこんな弱い祖父を見たことが無かったので、
大泣きしました。
そのまま何もできずに、バイトもあるので私は東京に戻ったわけですが、
祖父のことが気になって気になってどうしようもない状態に。
そして、バイト先の上司に相談して、
やめて実家に帰ることにしたのです。

憧れの東京から離れるのは心苦しくてたまらなかったのですが、
病気の祖父を遠くから心配しているのが辛くて、どうしても
帰省せずにはいられなくなったのです。

無事にアパートから実家への引っ越しが済み、
じいちゃんの入院生活に付き添う生活が始まりました。
ですが思いの外、祖父の回復が良くて、
私が帰省したときは、相部屋の病棟に移動できていたのです。

あー、命は助かったんだ。よかったーと思いました。

そして、祖父には、左半身の片麻痺が残るものの、
いつもの祖父に少しずつ戻ってきたのです。
で、順調にリハビリが始まりました。

ここで私の転機が訪れます。

リハビリのために、リハビリ室に行くのですが、
ここでのリハビリ指導する理学療法士さんが私にはめちゃくちゃ輝いて見えたのです。

それはじいちゃんに優しく声掛けして、
今日もがんばりましょうね。と言って、
二人三脚でリハビリしているシーンにグッとくるものがあったのです。

あー、この人一生懸命祖父の体良くなるようにやってくれてる
と思ったのです。
このシーンを何度か見ていると、「私、この仕事やってみたいな」って
強く思うようになったのです。

で、どうしたらなれるのかを調べていると、
大学か専門学校に通って国家試験に受かることでなれるということが分かったのです。

私が理学療法士の勉強をすれば、
じいちゃんの病気にも役に立てそうだし、これはならなきゃ!と強く思ったのです。
そして、
理学療法士の専門学校に通おうと決意したのです。
で、急遽、実家から通える範囲の専門学校を受験をしたのです。
が、、、不合格の通知が来たのです。
また来年挑戦するか。。。と気持ちを切り替えました。
そんな中じいちゃんが退院することに。
で、じいちゃんは通院生活になったのです。

安堵している中、
私は受験に失敗し、この先どうしようかと悩んでいました。
そんな時、
横浜に新設の専門学校ができるという記事を見つけたのです。
そこは、現在の職業に繋がる、
柔道整復師の資格取得のための専門学校のサイトでした。
新設校だったので、まだ定員に満たないことで追加募集をしていることが書いてありました。

サイトをみていると、
柔道整復の資格でもリハビリの仕事ができるということが書いてあり、
早速学校見学に行きました。
見学に行くと、学校の説明、学ぶこと、就職先など細かく教えてもらいました。

そこで自分が一番聞きたいこと、
病院でもリハビリの仕事に就けるのか。
ということ、それを真っ先に質問したのです。

実績では、リハビリの仕事に就いている人はいるということでした。
それが決め手で、入学することを決めたのです。
簡単な入試があって、すぐ入学が決まりました。

突然、横浜に行くことが決まったわけですが、祖父も思いの外
元気になって過ごしているので、安心して横浜に戻ることができました。

で、いよいよ学校に入学です。
私は、働きながら学校に通う予定だったので、夜間部に入りました。
夜間部は昼間サラリーマンしている方が多く、学校とはいえ、落ち着いた雰囲気の
学校でした。しかも、30人中、女子は私と二人でした。

男性ばかりで大丈夫かなと不安でしたが、
同じ志の仲間ばかりということもあって、話は合うし、めちゃくちゃ楽しい毎日でした。
こんな世界あるんだなって毎日が充実していました。
昼間は、専門学校の非常勤の先生が運営している整骨院にお世話になることになったのです。

学校で学んだことが生かせるバイト先は、学びの連続でしたし、
学校でも、
困った症例の話をして相談してアドバイスもらったり、
学びの深い3年間でした。
無事卒業し、国試も無事に合格しました。

その後、引き続き、昼間働いていた整骨院に就職をして、働いていました。

で、ここでなぜ憧れの病院に就職しなかったか。
それは、整骨院で働いていると、「病院では治らないので来ました」と言って、
整骨院に来られる患者さんが非常に多いことが分かったのです。

いつしか、病院で治せない患者さんの力になれることに大変やりがいを感じていたのです。
自分で学んだことを生かしながら、リハビリや施術ができる整骨院のスタイルだったので、
自分で考えて出来る環境を気に入っていました。
なので、そのまま引き続き同じ整骨院でお世話になることにしたのです。

そんなある日、私は、職場でぎっくり腰をしたのです。
朝出勤すると、いつも店のシャッターを持ち上げなければいけないんですが、
その日はシャッターを持ち上げた瞬間、腰に痛みが走ったのです。
ヤバい。と思うと
その数時間後からじわじわと腰に痛みが出てきたのです。
そして、ついに、痛みで動けなくなってしまったのです。

病院で検査を受けると、腰椎椎間板ヘルニアと診断されました。
「これがヘルニアかぁ、だいぶ痛いね。」
と、患者さんの痛みが分かったことに、うれしさを感じていました。

ですが、病院の対応は、特に治療は無く、
痛み止めの注射と、シップと薬のみで終わりました。

「患者さんが言っていたのはこれか。。。」と納得した瞬間でした。

そのあとは、整骨院で働いたこともあって、
毎日のように施術を受けることができました。

仕事はまともに出来ないし、何の役にも立たない自分に情けなさを感じながら
毎日を過ごしていました。

腰痛ってこんなに大変なのね。。。
と毎日痛みともどかしい気持ちと戦っていました。

でも毎日施術を受けていれば、すっかり良くなるだろうと考えていました。
ところが一向に良くなる気配がないのです。
この時受けていたのは、針、お灸、マッサージ、です。
これだけ毎日受けていればよくなりそうなものが全くです。

違う病気も考えましたが、実際検査には異常がなかったので、
やはりヘルニアの痛みなんだと考えていました。

そんな中、整骨院には、私が働けないことで、
他院のスタッフが日替わりで応援に来てくれていました。

でその応援スタッフの一人が、
「今新しい骨格矯正の施術を勉強してるから試しに受けてみないか」ということを
言われたのです。

「治るならなんでもお願いします!!」とお願いしたのです。

そして、この施術を受けたことで
私の腰痛からサヨナラ出来る大逆転劇になったのです。

この施術が現在当院でメインで行っているゆがみ取りスパット療法というものです。

この施術に出会うまで一か月かかりましたが、一回の施術で劇的な回復できたのことには
驚きとともに神でしかなかったです。

そこから、私の施術に対する考えも一気に変わりました。

それまでは、
一時的に痛みのある場所をただ施術していたのですが、
そこから根本解消するためには、
骨格を矯正しなければ意味がないと思い知ったわけです。

そこから私の施術する意識が変わり、
根本施術をしている整骨院への転職を考え始めたのです。

いろいろ求人を探していくなかで、あるドクターのブログにたどり着きました。
それは、
アトピーを専門に施術をしているクリニックのドクターのブログでした。
先生は、骨格を矯正することで、アトピーの完治を目指している治療を
しています。

先生の考えにめちゃくちゃ感動して一気に魅了されました。

すると、その先生のクリニックではスタッフ募集をしていることが分かったのです。
え、私ここで働きたい。と瞬時に思い、即応募しました。
面接に伺うと、先生の熱いオーラを感じました。
先生自身も、アトピーを骨格矯正で完治されているので、
説得力のある話が聞けたし、熱い思いがめちゃくちゃ伝わってきました。

無事にクリニックの面接に合格し、
いよいよ勉強の日々が始まりました。

そこでは、患者さんの対応のために、問診の取り方をめちゃくちゃ勉強しました。
院長の考えとして、骨格矯正は変わった施術なので、患者さんに納得して受けていただくためには、
患者さんの気持ちをしっかり聞き出し、気持ちのもやもやを解消し、治療の説明も順序だてて説明し、
納得して施術を受けてもらえることが大事という事でした。
何度もスタッフ同士練習して、無意識レベルでできるまで練習し続けました。
ここで患者さんとのコミュニケーションをとることの大切さに気付かされ、
この練習はその後の人生の大きな宝物となっています。

今思えば先生は患者さんに常に話していることがありました。
何でも反復が大事と。
反復していくことで、体には正しい骨格が身につき、それで良くなる体になっていくんだと。
院長自信の経験談でもあるので信頼があり、
患者さんもしっかり治療を継続して、みるみる体が良くなっていきました。
骨格矯正のすごさを目の前で何度も見ることができました。
そして、私自身も、反復することの大事さを教わりました。
患者さんの問診の取り方や、施術の練習も、何度も練習して 反復していきました。
それが、無意識レベルで、基礎が身に付き、より良いものを身につけることができました。
院長のおかげで、医療人としての知識がしっかり身についたし、施術の勉強もできたし、
めちゃくちゃ成長できた期間だったと今でも感謝しています。

そのクリニックには4年間勤務して、
その後私は結婚しました。
相手は前に勤めていた整骨院の上司です。
接骨院を開業していたので、私は結婚をきっかけに、夫の接骨院の手伝いをすることになったのです。
それとともに、介護予防の体操教室の指導員として働くことになりました。
というのは、夫は柔道整復師として丁稚奉公して修業していた時代があるのですが、
その当時の師匠が展開している事業で、体操指導員を探しているという話をいただいたのです。

私自身、元はと言えば、リハビリの仕事に魅力を感じてこの職業に就いたこともあり、
体を動かして病気や介護を予防することには大変興味がありました。
なので、即答で、ぜひお願いしますと、お世話になることになったのです。
ここでもまた大きな学びに繋がりました。

体は動かすことで、元気になるし、明るくなるし、
考えも前向きになる、ということを肌身で感じることができました。

というのは、
体操に来られる利用者さんの姿によく表れるのです。
体操教室参加当初は、おどおどしていて、声にも動きにも覇気がなかったのに、
体操参加の回数を重ねるごとに、どんどん動きが機敏になるし、笑顔も増えるし、
ここに来るのが楽しみになったと言う、うれしい言葉が沢山聞けるようになりました。

「あーやっててよかった」って思う瞬間ですね。
とともに、
やっぱり人間、体を動かすことが大事だわ、と、心から思うことができたのです。

しかも、この経験から、私自身も体操の指導をしていく中で、自分にも自然に運動する習慣がついたのです。
この習慣のおかげで、無意識にでも体を動かし、自分でケアできる感覚をつかめるようになりました。
そして体を動かすことの習慣化は健康に繋がる。ということを強く実感しました。

結婚して2年後に妊娠をしました。
妊娠中も仕事をしながら、出産ギリギリまでは働こうと意気込んでいました。
仕事は整骨院で働いていましたが、妊婦のため、
力作業の施術はせずに、補助的な仕事をしていました。
割と中腰になることが多かったので、
その動きの積み重ねからが、妊娠8か月目の後半から腰痛が出てきたのです。
その痛みは徐々に悪化していき、動くことさえできなくなったのです。

その時も骨格矯正を受けて、出産までには全快でした。
そのあと知ったことは、妊娠中の骨格は非常に緩みやすいという事です。
これを知らなかったばかりに、妊娠中の体に負担を掛け腰痛を発症しました。
さらに、この痛みのストレスはお腹の赤ちゃんにもストレスだったんです。

これを知った時は、
なんと恐ろしいことをしてしまったんだとめちゃくちゃ反省しました。

正しい知識を持つという事がいかに大事であるか、
身にしてみて痛感しました。

現在は、今まで学んだことやこれから学んでいく情報から
腰痛に強い体を作るために必要な情報を厳選して発信しています。

私自身、骨格矯正を知らなかったことで、
一か月も腰痛が治らず苦しみましたし、
妊娠中の体のケアの大切さを知らなかったことで、
腰痛を発症し、お腹の赤ちゃんにまでストレスを掛けてしまいました。

当時は辛かったですが、この経験があったおかげで
正しい知識を勉強するきっかけになり、身に付けることが出来るようになりました。

そして、腰痛に対する正しい知識を得て実行すれば、体は必ず変わります。
体が変わり、良い状態が分かってくると、
自分の体に敏感になってきます。
すると、
自分の腰痛が出そうなタイミングが分かるようになりますし、
人の腰痛の原因が話を聞いただけで分かるようになりました。
姿勢を見ただけで、腰痛の原因がわかるようになりました。

そのおかげで、知識を身に付けるほどに自分に自信がついて、諦めずに追及する根性がついてきました。
学生の時は学ぶ意欲がなく、ただ時間の流れとともに
過ごしているような子でしたが、
いまでは学ぶことがめちゃくちゃ楽しくなりました。
運動が嫌いだったのに、
運動の効果を実感したことで、運動をやらずにはいられない日常になりました。

以前の私からは想像もつかないのですが、
正しい知識をつけることで体も心もめちゃくちゃ強くなりました。

正しい知識と聞くと難しく感じますが、特に難しいことではありません。

知っているか知らないか、ただそれだけです。

知ってしまえば、あとはそれを受け入れれば、以前よりも体調が良くなり充実した人生を送る事が出来るんです。

じゃ、具体的にどんなことをすればい良いのか。。。

その情報をメルマガやブログで、より濃い内容で発信しています。
学びを常にアウトプットして、より良い情報をより良い形で発信していきたいと思っています。
より良い形で発信するスキル、この大事なスキルも現在学びながら、
発信しております。

ここまで来れたのは多くの方との出会いによるものです。
感謝しながらこれからも日々成長できるように、頑張っていきたいと思います。

お読みいただきありがとうございました。

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